【楽曲】君は君が勝手に君のやりかたで幸せになれる。『君の神様になりたい。』
【楽曲紹介】
『君の神様になりたい。』 作詞・作曲・編曲 カンザキイオリ
『君の神様になりたい。』
自作語りならぬ自分語りで恐縮だが、私は他人に励ましのメッセージを送るのが大の苦手である。
口頭ではなく文章の方が、真に伝えたい気持ちを表現できる可能性は高いだろうが、メッセージというのはどうしたって相手の手もとへ届くまでにラグがある。
たとえば相手の気の沈みようを十段階で表すとして──相手のゲージがすでに五~六点あたりまで回復しているにもかかわらず、文章の精査に時間を費やしたあまり、一~二点あたりにいる相手を想定したメッセージを送ってしまって、その温度差がのちのち妙な軋轢を生みやしないかとモヤモヤするのである。
そもそも──「励まし」という言葉の響きが、何やら重い。
もちろん万人にとって常に重過ぎるということはないが、何やら気の沈みようゲージほぼほぼ零点の相手を無理矢理八~九点近くまで引きずるようなイメージがある。あくまで私のイメージだが。
第一特定の誰かを励ましたいなどという思いに突き動かされている時点で、少なからず冷静さは欠いているのだから、善意が暴走するあまりらしくもない言葉ばかりを掻き集めて、返って相手を傷つけかねない──それどころか、結果によっては己の不甲斐なさに自分まで傷つく恐れさえある。
励ましの言葉の代わりに
だから、そういうとき私は小説を書くことにしている。
──何を云っているんだ、コイツは? と云いたい気持ちは、まあわかる。
メッセージに代わって、相手に「コレを読んで!」と送るならまだしもただ書いて放置するだけでは──それは、相手が自分の作品を読んでくれること大前提ではないか。読んでくれなかったら、一体どうするつもりなのだ。
どうするもこうするも、別にそれでいいと私は思っている。
偶々目にした作品から、今の自分に必要な要素だけを集めて、響きこそ若干ドライだが──勝手に回復してくれたらそれでいいと思っている。自作が目に留まらなかったら、目に留まったところでお気に召さなければ、そのときはそのとき。偶々目に入った他の作品が、その役割を果たすに過ぎない。
私は、本当の意味で人を生きる方へ向かわせる作品なんてないと思っている。
その作品から、あなたの内にある"何か"が今のあなたに必要な"何か"を拾い上げて、あなたが──勝手に回復しただけなのではないか。
きっかけを与えたのは間違いなく物語なのだろうが、あなたを生きる方へと向かわせたのは、あなたの内にあるその"何か"なのだと思う。
「君は君が勝手に君のやりかたで幸せになれる」
さて、私はカンザキイオリ氏の『君の神様になりたい。』がどちゃくそ好きである。
どこが好きかと訊かれたら全部。
強いてどこか挙げろと云われたら「君は君が勝手に君のやりかたで幸せになれる」という一節が好きだ(ちなみに紹介が原曲のそれでない、歌ってみたである理由は春猿火ちゃんが私の推しであるからに他ならない)。
そんな夢を見てしまうから、多分明日も明後日も何かしらは書くのだろう。
別に──厭々ではないのだけれど。