「#RTした人の小説を読みにいく」で自作を読んでほしい人が注意すべき4つのこと

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この記事はこんな方におすすめ

  • 「#RTした人の小説を読みにいく」を使っているけれど、自作を最後まで読んでもらえない
  • 面白い面白くない以外で自作を途中切りされる理由を知りたい
  • 「#RTした人の小説を読みに行く」でツイートしているこの人、ホントに読んでくれる?

 

私が「#RTした人の小説を読みにいく」「#小説読むよ」などのタグを利用したとき、面白い面白くない以前に、

 

「もうこの作品読まなくてよくない?」

 

と思ってしまう瞬間がいくつかあったので、まとめてみました。

 

 

誤字脱字衍字に注意する

 

 

ひとつめは、誤字脱字衍字に注意するです。

 

衍字とは「語句の中に誤って混入した不要の字」ですね。

「○○がが~」とか「××はは~」とかそんな感じです。

 

大事なのは誤字の類が一切ないことではない

 

これに関しては当たり前と云えば当たり前のことなのですが、大切なのは何も誤字脱字衍字が一切ないことではないのです。

 

たとえば私だって、過去に自作──『安定限界』で『銀河鉄道の夜』を『銀"貨"鉄道の夜』と誤表記してご指摘を受けるという赤っ恥をかいておるわけでして。

 

 

一口にweb小説やエッセイを書いていると云っても、色んな価値観の物書きがいます。

 

自分からは宣伝せず、読みたければどうぞご勝手に──というスタンスの方だって大勢います。

 

そういう人の作品に、ぽつりと紛れている誤字の類ならいいと思うのです。

 

問題は

 

「良ければ読んでください!」

 

と差し出した連載小説であるにもかかわらず、エピソード毎に3か所以上も誤字の類が混入している──といったようなケースでして。

 

いくら誤字の類を見つけるのが生きがいの方でも多過ぎると作業と化してきますので。

 

そうなると、もはや読書じゃないじゃないですか。成果報酬ゼロ円の作業を嬉々としてやってくれるような人は基本いません。

 

せめて「良ければ読んでください!」と云う前に、誤字脱字衍字がないかをチェックしましょう。

 

 

裏の目的を推察する【この人は本当に自作を読んでくれるのか】

 

 

ふたつめは、裏の目的を推察するです。

 

とどのつまり「#RTした人の小説を読みに行く」でツイートしているその人がホントに自分の作品を読んでくれる人かどうか見定める必要があります。

 

あなたもとっくに気づいてはいるでしょうが、「#小説読むよ」or「#RTした人の小説を読みにいく」を使って「勉強させてください!」と本心から云っている人はまずいません。

 

なので、相手が本心から「小説を読みたい」「小説を読んでもいい」と思って「#RTした人の小説を読みにいく」とツイートしているのか推量する必要があります(もちろん脳死RTが最適解では? という見方もあるでしょうが、周囲にあまり良いイメージを与えないのでおすすめしません。詳しくは後述)。

 

私が「#RTした人の小説を読みにいく」を使う2つの目的

 

たとえば私の場合、件のハッシュタグを用いる裏の目的はふたつです。

 

  • 自身のブログの宣伝
  • 応援したい物書きを探したい

 

一つめに関しては、より正確に云うとブログ自体の宣伝ではなく、「創作界隈にこんな活動をしている人がいるんだよ」というアピールです。

 

ブログや音声メディアなど、自分がやっていない宣伝ツールを持っている人を見かけたら「自作を気に入ってもらえたら何かイイことあるかも!」と思う人は少なからずいるじゃないですか。そういうことです。

 

二つめは、応援したいと思わせてくれる物書きを手っ取り早く探し当てたいからです。

 

とどのつまり、現時点そこまで面白くなかったとしてもこの人のあり方は応援したい、何らかの形で開花してほしいと思わせられるかどうかが大事なのです。

 

そこまで推し測るのは面倒──と思われる方もいるやもしれませんが、人は自分が助けた人をどんどん好きになる生きものです。

 

特にSNSを(主に宣伝目的で)使っている人にとって

 

こんなスタンスの私をどうか応援してね

 

というタイプの自己PRは大切です。

 

この辺りは、先に挙げた誤字の類と関係してくるところもあります。

 

誤字脱字衍字が少ないだけで「この人は小説に対して真面目な人なんだな」という好印象を与えることもできるので。

 

SNSで自作の宣伝をする方に苦手意識のある方はこちら

 

【物書きとブロガー】二足の草鞋を履いてわかったこと

ことSNSにおいて、創作垢のいいね&RTは個人の人気に大きく左右されます("人気"と書くとやや響きがアレですが、結局その人のあり方が書き手として応援したいかどうかが物を云うという印象)。

ブロガー垢は「#ブログ初心者」「#ブログ更新」などをつけておけばまあまあ伸びる──という印象ですが、創作垢界隈のいいね&RTは「普段から仲良くしている」人のツイートに集まりがちです。

「どの界隈もそうじゃない?」と思われるかもしれませんが、ブロガー垢は上記タグがついているツイートにはとりあえずいいねしとけみたいな"文化"がある一方、創作垢にはそういった"文化"がない──あったとしても希薄ですので。

SNSから人気を博したいのであれば、やはり好かれる術を知るに越したことはないです。

 

好かれる感想を書きたい方はこちら

 

この辺りは、創作垢からいいね&RTされやすいツイートの内容を分析するのも一興かなと思います。

 

些かいやらしく聞こえるかもしれませんが、「他人から共感を得やすい発言」「多くの賛同を得やすい発言」というのはコミュニティごとに異なりますし、学んでおいて損はないかと。

 

「#RTした人の小説を読みにいく」が使われている理由を考える

 

このアカウントが、このハッシュタグを使って発信している裏の目的は何なんだろう──というのをまず考えてみましょう。

 

ぶっちゃけ「勉強させてください!」が目的だとしたら「ジャンルは問いません」は怪しいじゃないですか? 勉強したいと云っているのに的が絞れていないのはあまりに非効率かつ不自然ですし。 

 

と云いますか、心底勉強したいと思っているのであれば、他に読むべきものはたくさんあるわけで。

 

 

自分は「何故それを読んでほしいのか」を見つめ直す

 

 

三つめに「よければ読んでください!」と差し出す前に、自分が「何故それを読んでほしいのか」を考えてみましょう。

 

たとえば──これは実際にあったケースなのですが、三~四か月前に更新ストップしている連載小説(加えて第一部完結済みとかではなく、大して連載も溜まっていない)を「良ければ読んでください!」と差し出してくる方がいらっしゃいまして。

 

大変申し訳ないのですが、素直に理解に苦しみましたね。

 

読者はひとりの生きた人間である

 

自分がどうしてそれを読んでほしいのか、読んでどうしてほしいのか、何を得たいと思っているのかを見つめ直すことも大切なのですが、その作品を差し出された相手がどう思うかも考えてみましょう。

 

少なくとも良い気分になる人はいないと思います。

 

あなたが「良ければ読んでください!」と自作を差し出す相手は「ノベルリーディングマシーン」ではなく「あなたの小説を読む人間」なのです。

 

 

自作を読んでくれた人を憶える

 

最後に、こちら「#RTした人の小説を読みにいく」関連で偶に交わされるやりとりなのですが──

 

 「良ければ読んでください!」

 「以前、読ませていただきましたよ」

 

「#RTした人の小説を読みにいく」で自作を読んでくれた人くらいは流石に憶えましょう

 

物書きどうこう以前に人として失礼過ぎるので。

 

ちなみに私が同じ目に遭ったらそっとミュートします。

 

 

まとめ:読んでほしいという思いが先走り過ぎていないか

 

 

こちらの作品、第13回GA文庫大賞(前期)にて受賞をされまして。

 

その旧作がカクヨムにて公開されているのですが、星の数は2020年11月時点で「41」です。

 

この事実から学ぶことって色々あるよなーと私は思っていて。

 

たとえば「自分、プロの作家を目指してます!」とプロフィールに書いた方で「#RTした人の小説を読みに行く」や「#小説読むよ」をRTしまくっている方いるじゃないですか。

 

とにかくたくさんの人に読んでもらわないと! たくさん評価を集めてランキングを上り詰めないことには始まらない!

 

本当にそうなのかなぁ──と。もちろんプロになった段階ですでに一定数のファンを抱えているという状態は強いと思います。それが狙いでやっているのかもしれません。

 

ただ──これは質問なのですが「#RTした人の小説を読みに行く」や「#小説読むよ」をRTしまくっているアカウント見て「この人とこの人の書く作品を応援したい!」と思ったことってありますか?

 

私は全くないのですよ。

 

一概に悪いとまでは云いませんが、恐らく良い印象を抱く人もいないのではないかなぁと。

 

読者は「ノベルリーディングマシーン」ではない

 

所謂スコッパーも決して「面白い作品を掘り当てるマシーン」ではないのです。

 

「面白い作品を掘り当てる人間」なのです。

 

人間である以上、「面白い作品を書くけど人柄があまりよろしくない人」と「面白い作品を書く愛想のよい人」だったらどうしても後者を応援したい気持ちになります。

 

「つまり面白い小説を目指す前に愛され体質になれと?」

 

と思う方もいるやもしれませんが、一概にそういうことではなく。

 

ただ、特に理由もない「読んでほしい」という気持ちが先走るあまり、大事なものを見失っていませんかということでして。

 

「#RTした人の小説を読みに行く」や「#小説読むよ」をRTしまくるのは構いません。

 

ただ、あなたが「良ければ読んで下さい!」と自作を差し出すその人は、あなたにとって都合のいい「ノベルリーディングマシーン」や「レビューライティングマシーン」ではないのです。

 

愛され体質を目指すのではなく、画面の向こうに作品を読む人間がいることを想定した上で「良ければ読んでください!」と云える書き手を目指しませんか? というお話でした。

 

そういう当たり前の積み重ねが、良い意味で作品に反映される部分もあるのではないかなぁと思います。

 

ではまた~。